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《吾輩は猫である》 作者:夏目漱石

二 - 2

おりから門の格子(こうし)がチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋(さかなや)の梅公がくる時のほかは出ない事に極(き)めているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈(へんくつ)になれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性(こんじょう)をあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月(かんげつ)さんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話(はな)しである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋(おも)っている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄(すご)いような艶(つや)っぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点(がてん)が行かぬが、あの牡蠣的(かきてき)主人がそんな談話を聞いて時々相槌(あいづち)を打つのはなお面白い。

「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮から大(おおい)に活動しているものですから、出(で)よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織の紐(ひも)をひねくりながら謎(なぞ)見たような事をいう。「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿(くろもめん)の紋付羽織の袖口(そでぐち)を引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている。「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。「ええ実はある所で椎茸(しいたけ)を食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸の傘(かさ)を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭(じじいくさ)いね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭を軽(かろ)く叩く。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君は大(おおい)に吾輩を賞(ほ)める。「近頃大分(だいぶ)大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三挺(ちょう)とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私(わたし)がその中へまじりましたが、自分でも善く弾(ひ)けたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人は羨(うらや)ましそうに問いかける。元来主人は平常枯木寒巌(こぼくかんがん)のような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっと惚(ほ)れる。勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着(れんちゃく)するという事が諷刺的(ふうしてき)に書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。そんな浮気な男が何故(なぜ)牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底(とうてい)分らない。或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性質(たち)だからだとも云う。どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。しかし寒月君の女連(おんなづ)れを羨まし気(げ)に尋ねた事だけは事実である。寒月君は面白そうに口取(くちとり)の蒲鉾(かまぼこ)を箸で挟んで半分前歯で食い切った。吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。「なに二人とも去(さ)る所の令嬢ですよ、御存じの方(かた)じゃありません」と余所余所(よそよそ)しい返事をする。「ナール」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えている。寒月君はもう善(い)い加減な時分だと思ったものか「どうも好い天気ですな、御閑(おひま)ならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」と促(うな)がして見る。主人は旅順の陥落より女連(おんなづれ)の身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ出るとしよう」と思い切って立つ。やはり黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念(かたみ)とかいう二十年来着古(きふ)るした結城紬(ゆうきつむぎ)の綿入を着たままである。いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。主人の服装には師走(しわす)も正月もない。ふだん着も余所(よそ)ゆきもない。出るときは懐手(ふところで)をしてぶらりと出る。ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬ。ただしこれだけは失恋のためとも思われない。

両人(ふたり)が出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾(かまぼこ)の残りを頂戴(ちょうだい)した。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕(ももかわじょえん)以後の猫か、グレーの金魚を偸(ぬす)んだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の黒などは固(もと)より眼中にない。蒲鉾の一切(ひときれ)くらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食(かんしょく)をするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三(おさん)などはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付(しつけ)を受けつつあると細君から吹聴(ふいちょう)せられている小児(こども)ですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対(むか)い合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭(パン)の幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺(さとうつぼ)が卓(たく)の上に置かれて匙(さじ)さえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙(ひとさじ)の砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少(しば)らく両人(りょうにん)は睨(にら)み合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間(ま)に一杯一杯一杯と重なって、ついには両人(ふたり)の皿には山盛の砂糖が堆(うずたか)くなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼(まなこ)を擦(こす)りながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優(まさ)っているかも知れぬが、智慧(ちえ)はかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞(な)めてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃(おはち)の上から黙って見物していた。

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