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《吾輩は猫である》 作者:夏目漱石

二 - 12

ところへ寒月(かんげつ)君が先日は失礼しましたと這入(はい)って来る。「いや失敬。今大変な名文を拝聴してトチメンボーの亡魂を退治(たいじ)られたところで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。「はあ、そうですか」とこれも訳の分らぬ挨拶をする。主人だけは左(さ)のみ浮かれた気色(けしき)もない。「先日は君の紹介で越智東風(おちとうふう)と云う人が来たよ」「ああ上(あが)りましたか、あの越智東風(おちこち)と云う男は至って正直な男ですが少し変っているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、是非紹介してくれというものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへ上(あが)っても自分の姓名のことについて何か弁じて行きゃしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前の講釈(こうしゃく)をするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。「あの東風(こち)と云うのを音(おん)で読まれると大変気にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮(きんからかわ)の煙草入(たばこいれ)から煙草をつまみ出す。「私(わたく)しの名は越智東風(おちとうふう)ではありません、越智(おち)こちですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井(くもい)を腹の底まで呑(の)み込む。「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近と云う成語(せいご)になる、のみならずその姓名が韻(いん)を踏んでいると云うのが得意なんです。それだから東風(こち)を音(おん)で読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻の孔(あな)まで吐き返す。途中で煙が戸迷(とまど)いをして咽喉(のど)の出口へ引きかかる。先生は煙管(きせる)を握ってごほんごほんと咽(むせ)び返る。「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管(きせる)で膝頭(ひざがしら)を叩(たた)く。吾輩は険呑(けんのん)になったから少し傍(そば)を離れる。「その朗読会さ。せんだってトチメンボーを御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者を撰(えら)んで金色夜叉(こんじきやしゃ)にしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮(おみや)ですといったのさ。東風(とうふう)の御宮は面白かろう。僕は是非出席して喝采(かっさい)しようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないから好い。迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア·デル·サルトと孔雀(くじゃく)の舌とトチメンボーの復讐(かたき)を一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳(ぎょうとく)の俎(まないた)と云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人は解(かい)さないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化(ごまか)しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率(しんそつ)に聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿(さ)したのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管(きせる)を大神楽(だいかぐら)のごとく指の尖(さき)で廻わす。「どんな経験か、聞かし玉(たま)え」と主人は行徳の俎を遠く後(うしろ)に見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左(さ)のごとくである。

「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例の東風(とうふう)から参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云う先(さ)き触(ぶ)れがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー·ペーンの滑稽物(こっけいもの)を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブを焚(た)いて室(へや)を煖(あたた)かにしてやらないと風邪(かぜ)を引くとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気(のんき)な僕もその時だけは大(おおい)に感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体(もったい)ない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜(ロシア)と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦(しんく)をして御国(みくに)のために働らいているのに節季師走(せっきしわす)でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以(もっ)て来て、僕の小学校時代の朋友(ほうゆう)で今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気(あじき)なくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。一番仕舞(しまい)にね。私(わた)しも取る年に候えば初春(はつはる)の御雑煮(おぞうに)を祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風(とうふう)が来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免蒙(こうむ)る事に極(き)めてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手(どて)三番町(さんばんちょう)の方へ我れ知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇って、から風が御濠(おほり)の向(むこ)うから吹き付ける、非常に寒い。神楽坂(かぐらざか)の方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。大変淋(さみ)しい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などと云う奴が頭の中をぐるぐる馳(か)け廻(めぐ)る。よく人が首を縊(くく)ると云うがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、いつの間(ま)にか例の松の真下(ました)に来ているのさ」

「例の松た、何だい」と主人が断句(だんく)を投げ入れる。

「首懸(くびかけ)の松さ」と迷亭は領(えり)を縮める。

「首懸の松は鴻(こう)の台(だい)でしょう」寒月が波紋(はもん)をひろげる。

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