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《吾輩は猫である》 作者:夏目漱石

七 - 7

帰って見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩餐(ばんさん)を食っている。吾輩が椽側(えんがわ)から上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今頃どこをあるいているんだろうと云った。膳の上を見ると、銭(ぜに)のない癖に二三品御菜(おかず)をならべている。そのうちに肴(さかな)の焼いたのが一疋(ぴき)ある。これは何と称する肴か知らんが、何でも昨日(きのう)あたり御台場(おだいば)近辺でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして残喘(ざんぜん)を保(たも)つ方がよほど結構だ。こう考えて膳の傍(そば)に坐って、隙(すき)があったら何か頂戴しようと、見るごとく見ざるごとく装(よそお)っていた。こんな装い方を知らないものはとうていうまい肴は食えないと諦(あきら)めなければいけない。主人は肴をちょっと突っついたが、うまくないと云う顔付をして箸(はし)を置いた。正面に控(ひか)えたる妻君はこれまた無言のまま箸の上下(じょうげ)に運動する様子、主人の両顎(りょうがく)の離合開闔(りごうかいこう)の具合を熱心に研究している。

「おい、その猫の頭をちょっと撲(ぶ)って見ろ」と主人は突然細君に請求した。

「撲てば、どうするんですか」

「どうしてもいいからちょっと撲って見ろ」

こうですかと細君は平手(ひらて)で吾輩の頭をちょっと敲(たた)く。痛くも何ともない。

「鳴かんじゃないか」

「ええ」

「もう一返(ぺん)やって見ろ」

「何返やったって同じ事じゃありませんか」と細君また平手でぽかと参(まい)る。やはり何ともないから、じっとしていた。しかしその何のためたるやは智慮深き吾輩には頓(とん)と了解し難い。これが了解出来れば、どうかこうか方法もあろうがただ撲って見ろだから、撲つ細君も困るし、撲たれる吾輩も困る。主人は二度まで思い通りにならんので、少々焦(じ)れ気味(ぎみ)で「おい、ちょっと鳴くようにぶって見ろ」と云った。

細君は面倒な顔付で「鳴かして何になさるんですか」と問いながら、またぴしゃりとおいでになった。こう先方の目的がわかれば訳はない、鳴いてさえやれば主人を満足させる事は出来るのだ。主人はかくのごとく愚物(ぐぶつ)だから厭(いや)になる。鳴かせるためなら、ためと早く云えば二返も三返も余計な手数(てすう)はしなくてもすむし、吾輩も一度で放免になる事を二度も三度も繰り返えされる必要はないのだ。ただ打(ぶ)って見ろと云う命令は、打つ事それ自身を目的とする場合のほかに用うべきものでない。打つのは向うの事、鳴くのはこっちの事だ。鳴く事を始めから予期して懸って、ただ打つと云う命令のうちに、こっちの随意たるべき鳴く事さえ含まってるように考えるのは失敬千万だ。他人の人格を重んぜんと云うものだ。猫を馬鹿にしている。主人の蛇蝎(だかつ)のごとく嫌う金田君ならやりそうな事だが、赤裸々をもって誇る主人としてはすこぶる卑劣である。しかし実のところ主人はこれほどけちな男ではないのである。だから主人のこの命令は狡猾(こうかつ)の極(きょく)に出(い)でたのではない。つまり智慧(ちえ)の足りないところから湧(わ)いた孑孑(ぼうふら)のようなものと思惟(しい)する。飯を食えば腹が張るに極(き)まっている。切れば血が出るに極っている。殺せば死ぬに極まっている。それだから打(ぶ)てば鳴くに極っていると速断をやったんだろう。しかしそれはお気の毒だが少し論理に合わない。その格で行くと川へ落ちれば必ず死ぬ事になる。天麩羅(てんぷら)を食えば必ず下痢(げり)する事になる。月給をもらえば必ず出勤する事になる。書物を読めば必ずえらくなる事になる。必ずそうなっては少し困る人が出来てくる。打てば必ずなかなければならんとなると吾輩は迷惑である。目白の時の鐘と同一に見傚(みな)されては猫と生れた甲斐(かい)がない。まず腹の中でこれだけ主人を凹(へこ)ましておいて、しかる後にゃーと注文通り鳴いてやった。

すると主人は細君に向って「今鳴いた、にゃあと云う声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」と聞いた。

細君はあまり突然な問なので、何にも云わない。実を云うと吾輩もこれは洗湯の逆上がまださめないためだろうと思ったくらいだ。元来この主人は近所合壁(きんじょがっぺき)有名な変人で現にある人はたしかに神経病だとまで断言したくらいである。ところが主人の自信はえらいもので、おれが神経病じゃない、世の中の奴が神経病だと頑張(がんば)っている。近辺のものが主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持するため必要だとか号して彼等を豚々(ぶたぶた)と呼ぶ。実際主人はどこまでも公平を維持するつもりらしい。困ったものだ。こう云う男だからこんな奇問を細君に対(むか)って呈出するのも、主人に取っては朝食前(あさめしまえ)の小事件かも知れないが、聞く方から云わせるとちょっと神経病に近い人の云いそうな事だ。だから細君は煙(けむ)に捲(ま)かれた気味で何とも云わない。吾輩は無論何とも答えようがない。すると主人はたちまち大きな声で

「おい」と呼びかけた。

細君は吃驚(びっくり)して「はい」と答えた。

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