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《吾輩は猫である》 作者:夏目漱石

八 - 7

今しも敵軍から打ち出した一弾は、照準(しょうじゅん)誤(あやま)たず、四つ目垣を通り越して桐(きり)の下葉を振い落して、第二の城壁即(すなわ)ち竹垣に命中した。随分大きな音である。ニュートンの運動律第一に曰(いわ)くもし他の力を加うるにあらざれば、一度(ひとた)び動き出したる物体は均一の速度をもって直線に動くものとす。もしこの律のみによって物体の運動が支配せらるるならば主人の頭はこの時にイスキラスと運命を同じくしたであろう。幸(さいわい)にしてニュートンは第一則を定むると同時に第二則も製造してくれたので主人の頭は危うきうちに一命を取りとめた。運動の第二則に曰く運動の変化は、加えられたる力に比例す、しかしてその力の働く直線の方向において起るものとす。これは何の事だか少しくわかり兼ねるが、かのダムダム弾が竹垣を突き通して、障子(しょうじ)を裂き破って主人の頭を破壊しなかったところをもって見ると、ニュートンの御蔭(おかげ)に相違ない。しばらくすると案のごとく敵は邸内に乗り込んで来たものと覚しく、「ここか」「もっと左の方か」などと棒でもって笹(ささ)の葉を敲き廻わる音がする。すべて敵が主人の邸内へ乗り込んでダムダム弾を拾う場合には必ず特別な大きな声を出す。こっそり這入って、こっそり拾っては肝心(かんじん)の目的が達せられん。ダムダム弾は貴重かも知れないが、主人にからかうのはダムダム弾以上に大事である。この時のごときは遠くから弾の所在地は判然している。竹垣に中(あた)った音も知っている。中った場所も分っている、しかしてその落ちた地面も心得ている。だからおとなしくして拾えば、いくらでもおとなしく拾える。ライプニッツの定義によると空間は出来得べき同在現象の秩序である。いろはにほへとはいつでも同じ順にあらわれてくる。柳の下には必ず鰌(どじょう)がいる。蝙蝠(こうもり)に夕月はつきものである。垣根にボールは不似合かも知れぬ。しかし毎日毎日ボールを人の邸内に抛(ほう)り込む者の眼に映ずる空間はたしかにこの排列に慣(な)れている。一眼(ひとめ)見ればすぐ分る訳だ。それをかくのごとく騒ぎ立てるのは必竟(ひっきょう)ずるに主人に戦争を挑(いど)む策略である。

こうなってはいかに消極的なる主人といえども応戦しなければならん。さっき座敷のうちから倫理の講義をきいてにやにやしていた主人は奮然として立ち上がった。猛然として馳(か)け出した。驀然(ばくぜん)として敵の一人を生捕(いけど)った。主人にしては大出来である。大出来には相違ないが、見ると十四五の小供である。髯(ひげ)の生(は)えている主人の敵として少し不似合だ。けれども主人はこれで沢山だと思ったのだろう。詫(わ)び入るのを無理に引っ張って椽側(えんがわ)の前まで連れて来た。ここにちょっと敵の策略について一言(いちげん)する必要がある、敵は主人が昨日(きのう)の権幕(けんまく)を見てこの様子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察した。その時万一逃げ損じて大僧(おおぞう)がつらまっては事面倒になる。ここは一年生か二年生くらいな小供を玉拾いにやって危険を避けるに越した事はない。よし主人が小供をつらまえて愚図愚図(ぐずぐず)理窟(りくつ)を捏(こ)ね廻したって、落雲館の名誉には関係しない、こんなものを大人気(おとなげ)もなく相手にする主人の恥辱(ちじょく)になるばかりだ。敵の考はこうであった。これが普通の人間の考で至極(しごく)もっともなところである。ただ敵は相手が普通の人間でないと云う事を勘定のうちに入れるのを忘れたばかりである。主人にこれくらいの常識があれば昨日だって飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を与える者である。女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そんな見境(みさか)いのあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るに足らん。主人のごとく相手にならぬ中学一年生を生捕(いけど)って戦争の人質とするほどの了見でなくては逆上家の仲間入りは出来ないのである。可哀(かわい)そうなのは捕虜である。単に上級生の命令によって玉拾いなる雑兵(ぞうひょう)の役を勤めたるところ、運わるく非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越える間(ま)もあらばこそ、庭前に引き据(す)えられた。こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見ている訳に行かない。我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭中に乱れ入る。その数は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上衣(うわぎ)もちょっ着(き)もつけておらん。白シャツの腕をまくって、腕組をしたのがある。綿(めん)ネルの洗いざらしを申し訳に背中だけへ乗せているのがある。そうかと思うと白の帆木綿(ほもめん)に黒い縁(ふち)をとって胸の真中に花文字を、同じ色に縫いつけた洒落者(しゃれもの)もある。いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波(たんば)の国は笹山から昨夜着し立てでござると云わぬばかりに、黒く逞(たくま)しく筋肉が発達している。中学などへ入れて学問をさせるのは惜しいものだ。漁師(りょうし)か船頭にしたら定めし国家のためになるだろうと思われるくらいである。彼等は申し合せたごとく、素足に股引(ももひき)を高くまくって、近火の手伝にでも行きそうな風体(ふうてい)に見える。彼等は主人の前にならんだぎり黙然(もくねん)として一言(いちごん)も発しない。主人も口を開(ひら)かない。しばらくの間双方共睨(にら)めくらをしているなかにちょっと殺気がある。

「貴様等はぬすっとうか」と主人は尋問した。大気(だいきえん)である。奥歯で囓(か)み潰(つぶ)した癇癪玉(かんしゃくだま)が炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒(いか)って見える。越後獅子(えちごじし)の鼻は人間が怒(おこ)った時の恰好(かっこう)を形(かた)どって作ったものであろう。それでなくてはあんなに恐しく出来るものではない。

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