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《吾輩は猫である》 作者:夏目漱石

九 - 2

哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留った主人はその後書斎に立て籠(こも)ってしきりに何か考えている。彼の忠告を容(い)れて静坐の裡(うち)に霊活なる精神を消極的に修養するつもりかも知れないが、元来が気の小さな人間の癖に、ああ陰気な懐手(ふところで)ばかりしていては碌(ろく)な結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節(らっぱぶし)でも習った方が遥(はる)かにましだとまでは気が付いたが、あんな偏屈(へんくつ)な男はとうてい猫の忠告などを聴く気遣(きづかい)はないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせずに暮した。

今日はあれからちょうど七日目(なぬかめ)である。禅家などでは一七日(いちしちにち)を限って大悟して見せるなどと凄(すさま)じい勢(いきおい)で結跏(けっか)する連中もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるか何とか片付いたろうと、のそのそ椽側(えんがわ)から書斎の入口まで来て室内の動静を偵察(ていさつ)に及んだ。

書斎は南向きの六畳で、日当りのいい所に大きな机が据(す)えてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうと云う大きな机である。無論出来合のものではない。近所の建具屋に談判して寝台兼(けん)机として製造せしめたる稀代(きたい)の品物である。何の故にこんな大きな机を新調して、また何の故にその上に寝て見ようなどという了見(りょうけん)を起したものか、本人に聞いて見ない事だから頓(とん)とわからない。ほんの一時の出来心で、かかる難物を担(かつ)ぎ込んだのかも知れず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出(みいだ)すごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子(ひょうし)に椽側へ転げ落ちたのを見た事がある。それ以来この机は決して寝台に転用されないようである。

机の前には薄っぺらなメリンスの座布団(ざぶとん)があって、煙草(たばこ)の火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒い。この座布団の上に後(うし)ろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯(へこおび)をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっている。この帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張られたのはこないだの事である。滅多(めった)に寄り付くべき帯ではない。

まだ考えているのか下手(へた)の考と云う喩(たとえ)もあるのにと後(うし)ろから覗(のぞ)き込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続け様に二三度瞬(まばたき)をしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。するとこの光りは机の上で動いている鏡から出るものだと云う事が分った。しかし主人は何のために書斎で鏡などを振り舞わしているのであろう。鏡と云えば風呂場にあるに極(き)まっている。現に吾輩は今朝風呂場でこの鏡を見たのだ。この鏡ととくに云うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いる。――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼は他(ほか)の事に無精(ぶしょう)なるだけそれだけ頭を叮嚀(ていねい)にする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだ事はない。必(かなら)ず二寸くらいの長さにして、それを御大(ごたい)そうに左の方で分けるのみか、右の端(はじ)をちょっと跳(は)ね返して澄(すま)している。これも精神病の徴候かも知れない。こんな気取った分け方はこの机と一向(いっこう)調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、誰も何とも云わない。本人も得意である。分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこう云う訳(わけ)である。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕(しんしょく)せるのみならず、とくの昔(むか)しに脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。いくら撫(な)でても、さすってもぽつぽつがとれない。枯野に蛍(ほたる)を放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意(ぎょい)に入らんのは勿論(もちろん)の事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝(あば)くにも当らぬ訳だ。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばたも内済(ないさい)にしたいくらいなところだから、ただで生(は)える毛を銭(ぜに)を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨(ずがいこつ)の上まで天然痘(てんねんとう)にやられましたよと吹聴(ふいちょう)する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以(ゆえん)で、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である。

風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病(りこんびょう)に罹(かか)ったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすれば何のために持って来たのだろう。あるいは例の消極的修養に必要な道具かも知れない。昔(むか)し或る学者が何とかいう智識を訪(と)うたら、和尚(おしょう)両肌を抜いで甎(かわら)を磨(ま)しておられた。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろと罵(ののし)ったと云うから、主人もそんな事を聞き噛(かじ)って風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない。大分(だいぶ)物騒になって来たなと、そっと窺(うかが)っている。

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