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《吾輩は猫である》 作者:夏目漱石

九 - 10

「君独仙の説を聞いた事があるのかい」と主人は剣呑(けんのん)だから念を推(お)して見る。

「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前学校にいた時分と今日(こんにち)と少しも変りゃしない」

「真理はそう変るものじゃないから、変らないところがたのもしいかも知れない」

「まあそんな贔負(ひいき)があるから独仙もあれで立ち行くんだね。第一八木と云う名からして、よく出来てるよ。あの髯(ひげ)が君全く山羊(やぎ)だからね。そうしてあれも寄宿舎時代からあの通りの恰好(かっこう)で生えていたんだ。名前の独仙なども振(ふる)ったものさ。昔(むか)し僕のところへ泊りがけに来て例の通り消極的の修養と云う議論をしてね。いつまで立っても同じ事を繰り返してやめないから、僕が君もう寝(ね)ようじゃないかと云うと、先生気楽なものさ、いや僕は眠くないとすまし切って、やっぱり消極論をやるには迷惑したね。仕方がないから君は眠くなかろうけれども、僕の方は大変眠いのだから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが――その晩鼠(ねずみ)が出て独仙君の鼻のあたまを噛(かじ)ってね。夜なかに大騒ぎさ。先生悟ったような事を云うけれども命は依然として惜しかったと見えて、非常に心配するのさ。鼠の毒が総身(そうしん)にまわると大変だ、君どうかしてくれと責めるには閉口したね。それから仕方がないから台所へ行って紙片(かみぎれ)へ飯粒を貼(は)ってごまかしてやったあね」

「どうして」

「これは舶来の膏薬(こうやく)で、近来独逸(ドイツ)の名医が発明したので、印度人(インドじん)などの毒蛇に噛(か)まれた時に用いると即効があるんだから、これさえ貼っておけば大丈夫だと云ってね」

「君はその時分からごまかす事に妙を得ていたんだね」

「……すると独仙君はああ云う好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きて見ると膏薬の下から糸屑(いとくず)がぶらさがって例の山羊髯(やぎひげ)に引っかかっていたのは滑稽(こっけい)だったよ」

「しかしあの時分より大分(だいぶ)えらくなったようだよ」

「君近頃逢ったのかい」

「一週間ばかり前に来て、長い間話しをして行った」

「どうりで独仙流の消極説を振り舞わすと思った」

「実はその時大(おおい)に感心してしまったから、僕も大に奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」

「奮発は結構だがね。あんまり人の云う事を真(ま)に受けると馬鹿を見るぜ。一体君は人の言う事を何でもかでも正直に受けるからいけない。独仙も口だけは立派なものだがね、いざとなると御互と同じものだよ。君九年前の大地震を知ってるだろう。あの時寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは独仙君だけなんだからな」

「あれには当人大分(だいぶ)説があるようじゃないか」

「そうさ、当人に云わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の機鋒(きほう)は峻峭(しゅんしょう)なもので、いわゆる石火(せっか)の機(き)となると怖(こわ)いくらい早く物に応ずる事が出来る。ほかのものが地震だと云って狼狽(うろた)えているところを自分だけは二階の窓から飛び下りたところに修業の効があらわれて嬉しいと云って、跛(びっこ)を引きながらうれしがっていた。負惜みの強い男だ。一体禅(ぜん)とか仏(ぶつ)とか云って騒ぎ立てる連中ほどあやしいのはないぜ」

「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。

「この間来た時禅宗坊主の寝言(ねごと)見たような事を何か云ってったろう」

「うん電光影裏(でんこうえいり)に春風(しゅんぷう)をきるとか云う句を教えて行ったよ」

「その電光さ。あれが十年前からの御箱(おはこ)なんだからおかしいよ。無覚禅師(むかくぜんじ)の電光ときたら寄宿舎中誰も知らないものはないくらいだった。それに先生時々せき込むと間違えて電光影裏を逆(さか)さまに春風影裏に電光をきると云うから面白い。今度ためして見たまえ。向(むこう)で落ちつき払って述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛倒(てんとう)して妙な事を云うよ」

「君のようないたずらものに逢っちゃ叶(かな)わない」

「どっちがいたずら者だか分りゃしない。僕は禅坊主だの、悟ったのは大嫌だ。僕の近所に南蔵院(なんぞういん)と云う寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいる。それでこの間の白雨(ゆうだち)の時寺内(じない)へ雷(らい)が落ちて隠居のいる庭先の松の木を割(さ)いてしまった。ところが和尚(おしょう)泰然として平気だと云うから、よく聞き合わせて見るとから聾(つんぼ)なんだね。それじゃ泰然たる訳さ。大概そんなものさ。独仙も一人で悟っていればいいのだが、ややともすると人を誘い出すから悪い。現に独仙の御蔭で二人ばかり気狂(きちがい)にされているからな」

「誰が」

「誰がって。一人は理野陶然(りのとうぜん)さ。独仙の御蔭で大(おおい)に禅学に凝(こ)り固まって鎌倉へ出掛けて行って、とうとう出先で気狂になってしまった。円覚寺(えんがくじ)の前に汽車の踏切りがあるだろう、あの踏切り内(うち)へ飛び込んでレールの上で座禅をするんだね。それで向うから来る汽車をとめて見せると云う大気焔(だいきえん)さ。もっとも汽車の方で留ってくれたから一命だけはとりとめたが、その代り今度は火に入(い)って焼けず、水に入って溺(おぼ)れぬ金剛不壊(こんごうふえ)のからだだと号して寺内(じない)の蓮池(はすいけ)へ這入(はい)ってぶくぶくあるき廻ったもんだ」

「死んだかい」

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