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《吾輩は猫である》 作者:夏目漱石

十 - 13

「叔母さん、この油壺が珍品ですとさ。きたないじゃありませんか」

「それを吉原で買っていらしったの?まあ」

「何がまあだ。分りもしない癖に」

「それでもそんな壺なら吉原へ行かなくっても、どこにだってあるじゃありませんか」

「ところがないんだよ。滅多(めった)に有る品ではないんだよ」

「叔父さんは随分石地蔵(いしじぞう)ね」

「また小供の癖に生意気を云う。どうもこの頃の女学生は口が悪るくっていかん。ちと女大学でも読むがいい」

「叔父さんは保険が嫌(きらい)でしょう。女学生と保険とどっちが嫌なの?」

「保険は嫌ではない。あれは必要なものだ。未来の考のあるものは、誰でも這入(はい)る。女学生は無用の長物だ」

「無用の長物でもいい事よ。保険へ這入ってもいない癖に」

「来月から這入るつもりだ」

「きっと?」

「きっとだとも」

「およしなさいよ、保険なんか。それよりかその懸金(かけきん)で何か買った方がいいわ。ねえ、叔母さん」叔母さんはにやにや笑っている。主人は真面目になって

「お前などは百も二百も生きる気だから、そんな呑気(のんき)な事を云うのだが、もう少し理性が発達して見ろ、保険の必要を感ずるに至るのは当前(あたりまえ)だ。ぜひ来月から這入るんだ」

「そう、それじゃ仕方がない。だけどこないだのように蝙蝠傘(こうもり)を買って下さる御金があるなら、保険に這入る方がましかも知れないわ。ひとがいりません、いりませんと云うのを無理に買って下さるんですもの」

「そんなにいらなかったのか?」

「ええ、蝙蝠傘なんか欲しかないわ」

「そんなら還(かえ)すがいい。ちょうどとん子が欲しがってるから、あれをこっちへ廻してやろう。今日持って来たか」

「あら、そりゃ、あんまりだわ。だって苛(ひど)いじゃありませんか、せっかく買って下すっておきながら、還せなんて」

「いらないと云うから、還せと云うのさ。ちっとも苛くはない」

「いらない事はいらないんですけれども、苛いわ」

「分らん事を言う奴だな。いらないと云うから還せと云うのに苛い事があるものか」

「だって」

「だって、どうしたんだ」

「だって苛いわ」

「愚(ぐ)だな、同じ事ばかり繰り返している」

「叔父さんだって同じ事ばかり繰り返しているじゃありませんか」

「御前が繰り返すから仕方がないさ。現にいらないと云ったじゃないか」

「そりゃ云いましたわ。いらない事はいらないんですけれども、還すのは厭(いや)ですもの」

「驚ろいたな。没分暁(わからずや)で強情なんだから仕方がない。御前の学校じゃ論理学を教えないのか」

「よくってよ、どうせ無教育なんですから、何とでもおっしゃい。人のものを還せだなんて、他人だってそんな不人情な事は云やしない。ちっと馬鹿竹(ばかたけ)の真似でもなさい」

「何の真似をしろ?」

「ちと正直に淡泊(たんぱく)になさいと云うんです」

「お前は愚物の癖にやに強情だよ。それだから落第するんだ」

「落第したって叔父さんに学資は出して貰やしないわ」

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