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《吾輩は猫である》 作者:夏目漱石

十一 - 1

床の間の前に碁盤を中に据(す)えて迷亭君と独仙君が対坐している。

「ただはやらない。負けた方が何か奢(おご)るんだぜ。いいかい」と迷亭君が念を押すと、独仙君は例のごとく山羊髯(やぎひげ)を引っ張りながら、こう云(い)った。

「そんな事をすると、せっかくの清戯(せいぎ)を俗了(ぞくりょう)してしまう。かけなどで勝負に心を奪われては面白くない。成敗(せいはい)を度外において、白雲の自然に岫(しゅう)を出でて冉々(ぜんぜん)たるごとき心持ちで一局を了してこそ、個中(こちゅう)の味(あじわい)はわかるものだよ」

「また来たね。そんな仙骨を相手にしちゃ少々骨が折れ過ぎる。宛然(えんぜん)たる列仙伝中の人物だね」

「無絃(むげん)の素琴(そきん)を弾じさ」

「無線の電信をかけかね」

「とにかく、やろう」

「君が白を持つのかい」

「どっちでも構わない」

「さすがに仙人だけあって鷹揚(おうよう)だ。君が白なら自然の順序として僕は黒だね。さあ、来たまえ。どこからでも来たまえ」

「黒から打つのが法則だよ」

「なるほど。しからば謙遜(けんそん)して、定石(じょうせき)にここいらから行こう」

「定石にそんなのはないよ」

「なくっても構わない。新奇発明の定石だ」

吾輩は世間が狭いから碁盤と云うものは近来になって始めて拝見したのだが、考えれば考えるほど妙に出来ている。広くもない四角な板を狭苦しく四角に仕切って、目が眩(くら)むほどごたごたと黒白(こくびゃく)の石をならべる。そうして勝ったとか、負けたとか、死んだとか、生きたとか、あぶら汗を流して騒いでいる。高が一尺四方くらいの面積だ。猫の前足で掻(か)き散らしても滅茶滅茶になる。引き寄せて結べば草の庵(いおり)にて、解くればもとの野原なりけり。入らざるいたずらだ。懐手(ふところで)をして盤を眺めている方が遥(はる)かに気楽である。それも最初の三四十目(もく)は、石の並べ方では別段目障(めざわ)りにもならないが、いざ天下わけ目と云う間際(まぎわ)に覗(のぞ)いて見ると、いやはや御気の毒な有様だ。白と黒が盤から、こぼれ落ちるまでに押し合って、御互にギューギュー云っている。窮屈だからと云って、隣りの奴にどいて貰う訳にも行かず、邪魔だと申して前の先生に退去を命ずる権利もなし、天命とあきらめて、じっとして身動きもせず、すくんでいるよりほかに、どうする事も出来ない。碁を発明したものは人間で、人間の嗜好(しこう)が局面にあらわれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命はせせこましい人間の性質を代表していると云っても差支(さしつか)えない。人間の性質が碁石の運命で推知(すいち)する事が出来るものとすれば、人間とは天空海濶(てんくうかいかつ)の世界を、我からと縮めて、己(おの)れの立つ両足以外には、どうあっても踏み出せぬように、小刀細工(こがたなざいく)で自分の領分に縄張りをするのが好きなんだと断言せざるを得ない。人間とはしいて苦痛を求めるものであると一言(いちごん)に評してもよかろう。

呑気(のんき)なる迷亭君と、禅機(ぜんき)ある独仙君とは、どう云う了見か、今日に限って戸棚から古碁盤を引きずり出して、この暑苦しいいたずらを始めたのである。さすがに御両人御揃(おそろ)いの事だから、最初のうちは各自任意の行動をとって、盤の上を白石と黒石が自由自在に飛び交わしていたが、盤の広さには限りがあって、横竪(よこたて)の目盛りは一手(ひとて)ごとに埋(うま)って行くのだから、いかに呑気でも、いかに禅機があっても、苦しくなるのは当り前である。

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