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《吾輩は猫である》 作者:夏目漱石

十一 - 22

「先生方は大分(だいぶ)厭世的な御説のようだが、私は妙ですね。いろいろ伺っても何とも感じません。どう云うものでしょう」と寒月君が云う。

「そりゃ妻君を持ち立てだからさ」と迷亭君がすぐ解釈した。すると主人が突然こんな事を云い出した。

「妻(さい)を持って、女はいいものだなどと思うと飛んだ間違になる。参考のためだから、おれが面白い物を読んで聞かせる。よく聴くがいい」と最前(さいぜん)書斎から持って来た古い本を取り上げて「この本は古い本だが、この時代から女のわるい事は歴然と分ってる」と云うと、寒月君が

「少し驚きましたな。元来いつ頃の本ですか」と聞く。「タマス·ナッシと云って十六世紀の著書だ」

「いよいよ驚ろいた。その時分すでに私の妻(さい)の悪口を云ったものがあるんですか」

「いろいろ女の悪口があるが、その内には是非君の妻(さい)も這入る訳だから聞くがいい」

「ええ聞きますよ。ありがたい事になりましたね」

「まず古来の賢哲が女性観を紹介すべしと書いてある。いいかね。聞いてるかね」

「みんな聞いてるよ。独身の僕まで聞いてるよ」

「アリストートル曰(いわ)く女はどうせ碌(ろく)でなしなれば、嫁をとるなら、大きな嫁より小さな嫁をとるべし。大きな碌でなしより、小さな碌でなしの方が災(わざわい)少なし……」

「寒月君の妻君は大きいかい、小さいかい」

「大きな碌でなしの部ですよ」

「ハハハハ、こりゃ面白い本だ。さああとを読んだ」

「或る人問う、いかなるかこれ最大奇蹟(さいだいきせき)。賢者答えて曰く、貞婦……」

「賢者ってだれですか」

「名前は書いてない」

「どうせ振られた賢者に相違ないね」

「次にはダイオジニスが出ている。或る人問う、妻を娶(めと)るいずれの時においてすべきか。ダイオジニス答えて曰く青年は未(いま)だし、老年はすでに遅し。とある」

「先生樽(たる)の中で考えたね」

「ピサゴラス曰(いわ)く天下に三の恐るべきものあり曰く火、曰く水、曰く女」

「希臘(ギリシャ)の哲学者などは存外迂濶(うかつ)な事を云うものだね。僕に云わせると天下に恐るべきものなし。火に入(い)って焼けず、水に入って溺れず……」だけで独仙君ちょっと行き詰る。

「女に逢ってとろけずだろう」と迷亭先生が援兵に出る。主人はさっさとあとを読む。

「ソクラチスは婦女子を御(ぎょ)するは人間の最大難事と云えり。デモスセニス曰く人もしその敵を苦しめんとせば、わが女を敵に与うるより策の得たるはあらず。家庭の風波に日となく夜(よ)となく彼を困憊(こんぱい)起つあたわざるに至らしむるを得ればなりと。セネカは婦女と無学をもって世界における二大厄とし、マーカス·オーレリアスは女子は制御し難き点において船舶に似たりと云い、プロータスは女子が綺羅(きら)を飾るの性癖をもってその天稟(てんぴん)の醜を蔽(おお)うの陋策(ろうさく)にもとづくものとせり。ヴァレリアスかつて書をその友某におくって告げて曰く天下に何事も女子の忍んでなし得ざるものあらず。願わくは皇天憐(あわれみ)を垂れて、君をして彼等の術中に陥(おちい)らしむるなかれと。彼また曰く女子とは何ぞ。友愛の敵にあらずや。避くべからざる苦しみにあらずや、必然の害にあらずや、自然の誘惑にあらずや、蜜(みつ)に似たる毒にあらずや。もし女子を棄つるが不徳ならば、彼等を棄てざるは一層の呵責(かしゃく)と云わざるべからず。……」

「もう沢山です、先生。そのくらい愚妻のわる口を拝聴すれば申し分はありません」

「まだ四五ページあるから、ついでに聞いたらどうだ」

「もうたいていにするがいい。もう奥方の御帰りの刻限だろう」と迷亭先生がからかい掛けると、茶の間の方で

「清や、清や」と細君が下女を呼ぶ声がする。

「こいつは大変だ。奥方はちゃんといるぜ、君」

「ウフフフフ」と主人は笑いながら「構うものか」と云った。

「奥さん、奥さん。いつの間(ま)に御帰りですか」

茶の間ではしんとして答がない。

「奥さん、今のを聞いたんですか。え?」

答はまだない。

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